酔いて雑記

ふと想い

何だろう。この冷えた12月の夜の買い物帰り。

ふと、涙が流れてくる。

息子3匹達の食材を買い求めての帰り道。

自分にはもう一人弟がいた。

僕が、5歳の時死んでしまった。

田舎のぼっとんトイレ。浮かんでた。

引き上げた子を母はアルミのたらいの中で一生懸命洗ってた。

キューピーちゃんだった。僕には人形に見えた。

なぜ、弟を守れなかったのか。

ずっと思う・・・今も。

クリスマス前の夜。母は何かを買うために

何も言わずに近所のお店に出かけたらしい。

テレビに夢中だったのか親父と爺ばば。インスタントラーメンの

スープをいじって興味津々だった自分と妹が

魔の手に捕まってしまって弟の命をうばった。

守れなかった、救えなかったという自責の念は、

ずっと持ち続けて、なんて罪が重いんだろうかって・・・

先にいった弟にあの世で会うことができれば

あの、小さい体を抱きしめてみよう。

 

リゾット

新年を迎えた。お札のお炊き上げを28日に済ませ、

1日の朝に初詣をした。新型コロナの影響で

人が少ない境内は静かだ。例年の勝手な神頼みより

感染しない方にありがたみを見たのだろうか。

今日で三が日は終わり。明日からかみさんは仕事で、

おいらは明日までお休み。冷蔵庫を開けて

昨日焼きうどんで使い忘れたシメジとエリンギが目につく

昼間から、長男とかみさんで安いシャンパンを開け、

キノコのことが気になって、よし、キノコリゾットだ。

レシピを探りながらぼつぼつ作ってみたら

これがすこぶる好評で。米とタマネギ、キノコ、バター、チーズ、

イヨンスープでできる。後は手順と時間との折り合い。

自分は作ったものはほとんど食べないし、

味はしょっぱいかどうかしか聞かないが、

黙って食べる姿が一番の答えだ。

料理って自分のために作るより誰かのために作る。

作る誰かがいるって事が幸せなのだろう。

やたら叱られるかみさんと、生意気なくそガキ三人だとしても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大掃除

例年、この時期に家屋の大掃除を行うことが慣習になっている。

3.、4年前までは、年末の酒に溺れてかみさん任せだったが。

昨年辺りからトイレの掃除とか

油まみれのレンジの棚のよごれ掃除とか

トイレにひざまずいてきれいにして妙に満足したり。

上等な洗浄製品で楽に掃除ができたりすることに感心したり。

びっくりするぐらい、今の清掃商品に頭が下がる事を学んだ。

少なくとも、トイレ掃除は好きになった。

高校3年背の頃、体力が余っているもんだから

朝一番で友人2人と学校の男子便所の大掃除をよくやった。

デッキブラシと水をまき散らすホース、便器をピカピカに磨いた。

あいつらどうしたって、ホームルームが始まって担任がよく便所に呼びに来た。

そんなのんびりした学校だった。

そんな今日、大掃除の一環でうちの小さな神棚のしめ縄替えをした。

かみさんが買ってきたしめ縄がいつもより大きな2尺を買ってきた。

明らかにでかいのだが、いざ飾ってみると大は小を兼ねると言った

かみさんの言うとおりまあ一年なんとかなるかな・・

来年また小さいものにすればいいかなと。

酒飲みのわしでも元気ならまた今年のように準備をしたい。

地の神社に参って一年お守りいただいたお札のお焚き上げげをお願いし、

新年の平和をお願いしてお札をいただいて世界の平和でも祈ろうか。

いかにも嫌らしい言い回しでごんす。

 

人間ドック

人間ドックを受診した。今日は身体測定関係、目と耳の検査、

血圧、心電図、そして糖負荷検査糖負荷検査は糖尿病の境界型で

血糖値が高く、ここ2年検査してもらえなかった。

ところが今回は数値がギリギリで検査できることになった。

血糖値を下げる効果があるというサプリを

3ヶ月ほど飲み続けていたのだがこれがきいたのだろうか?

視力検査は近視のため裸眼で右が0.2左が0.1、老眼検査?は右1.5左1.2

近いものはよく見える。先行きが見えない生き方は

こんなところからきているのだろう?

聴力は、4000ヘルツが聞こえない。

子供の頃に爆竹で遊んだせいなのか不明だが、

まあ、全く聞こえないわけじゃないから

生きてるぶんにはギリギリ。

何しろ、女性の高い声が聞きづらい。

「え?」とか「なに?」とか聞き直すことが多くて、

めんどくさいからそのうち「うん。」「はい。」って

相づちを打つことが多くなってしまい、

理解ができていなくて困る事がままある。

耳が聞こえなくなるとアルツハイマーも進行していくらしい。

ちなみに、うちの親父はアルツハイマーを患い、

76才で脳幹がいかれて呼吸障害になって

4ヶ月間呼吸器をつけて4年前に死んでしまった。

一人になった足の悪い母親を妹が自分のところへ来ないかと

いろいろ手筈を整えたのだが、

母親は、親父の3回忌を終えるまでは頑張ると言って

島根の田舎で一人でご近所の友人方に支えられてなんとかやっていた。

たまに電話をして息子だとわかると

電話の向こう側の声が震えていくのがわかった。

お盆のたびに兄妹弟が帰省して「母ちゃんはまだまだ生きるで~」

「ありゃ、80までは元気だな!」「よー食べるしな。」

なんて話していたのだが、

親父の三回忌が終わったお盆のあと、

2週間で肺炎を煩ってあっという間に死んでしまった。

我が家は貧乏で年金もないじじばばと3人の子供を育てるために

休みなく働く左官屋の親父と饅頭屋で働く母親。

家族で旅行にも行った事もない。

3人の子供達はそれぞれ都会に働きに出て、

結局、両親の死に目に誰も会えなかった。

ことさら親に迷惑をかけなかった自分達は

それはそれでよかったのかもしれないが、

自分が3人の子供の親になってみて

一人病院のベッドで死んでいくのはさみしいなと。

そんな自分勝手な自分は、

本当の親不孝者だったのかもしれない。

 

 

 

 

二男進学する

次男坊が大学に合格し4月から学校に通うらしい。

こいつがありがたいほど手がかからず、計算高いのか

小さい頃から箸にも棒にもかからない、いい子ちゃんと来てる。

長男は、高専に行ったが怠け者で、1年留年して首となった。

留年決定の後、母親が仕事の都合で面談に行けず

私が代わりに3者面談へ。その際「一度留年した者は

たいてい退学となる確率が高いが?どうだい気持ちは。」と

厳しい話しがあったが、本人は頑張りますと。

最初の子なんでその時は親馬鹿だからまあ、一度のつまずきで

失敗すれば心を入れ変えてやる気になるだろう。

なんて高をくくっていたが本当に学校を首になってしまった。

その後、せめて高等学校卒業を手に入れるためと

母親が通信の高等学校へ手続きに奔走した。

高卒の必要単位は数単位で、本人はいたってのんきで

単位取得に必要な実習旅行なんかは親にすべて用意されて

当日は家から歩いて駅へ行くだけぐらいに整えてもらって。

なるほどこれでは、なるべくしてしかりかと。

三男はこれまた知恵遅れときて、幼稚極まりない

くだらないゲームに熱くなって床をたたいて暴力的にあばれ

みっともないったらありゃしない。

今年高校受験ときているが、すべて親任せ。

働きたくないから高校へ行くっていうレベル。

できの悪い我が子達を傍目に冷ややかに見るつもりはないが、

自分を傍目に見てみるといやいや、

わしもがきんちょ達に負けないくらいわがままで、

いやはや全く幼稚な生き物でござんす。

 

    18才

私の海が 目の前に横たわる

夕日が沈む 泣きながら赤く沈んでいく夕日がある

波音が少し調子の狂ったリズムで打ち寄せる

てくてくてく、とぼとぼとぼ

少し防波堤を歩く

ざしゃぁーん・・ざぁーん・・・

砂浜にのぼっていく波は泡を抱いて

白い砂に吸い込まれながら消えていく

あの娘はこの夕暮れに

何をしているのだろう?

夕ご飯の支度でも手伝っているのだろうか。

それとも、兄弟の面倒を見ているだろうか。

一人ぼっちの僕はもう慣れっこになって

てくてくてく、とぼとぼとぼ・・・

ざしゃぁーん・・ざぁーん・・・

夕日は赤く泣いている